◆誘惑の泉◆

 

7月の京は蒸し暑く、非番の頼忠は早朝から馬を蹴り高雄の清滝に向かった。
昨夜はほとんど寝ていない。そう、いつものことだ。
非番の前夜、院の臥所に呼ばれ夜が明ける頃頼忠は床を出る。
冬は武士団の館に戻り冷めた湯殿に行くが、夏は清滝で過ごすことが多い。
清滝の川で夜の乱れた汗を流した後、剣の稽古をして夕方武士団に戻るというような一日だ。

脱いだ衣を木に掛けて腰布一枚になると、さらさらと流れる浅い川に足を入れ崖から落ちる小ぶりの滝で汗を流す。
ここは山から落ちる清水と川の流水でできた泉で、周りは崖と木々に囲まれた頼忠の好きな場所である。

わき腹に付けられた赤い痣に目をやった。院がわざ付けたものだ。
『余の知らぬ間におまえは誰と夜を明かした。』など勝手なことを言い、『言わぬなら』と痛いほど肌に吸い付く。
頼忠にしてみれば根拠のない言いがかりに反論しても、嘘だと言われれば何を言っても無駄だ。院の気の済むようにされる方が返って煩わしくない。
そんな 頼忠の掴みどころのない態度が院を嫉妬に追いやる。誰に嫉妬するわけでもなく、ただ頼忠がどこまで自分のものなのか解らないのだった。この男を思い通りにしているのに実感がない。
そのようなこととは知らない頼忠は痣を無表情に見つめた。
私は夜の務めをする為に武士団に入ったのではない。 だがけして口には出さない、拒絶や要求することもしない。
それが頼忠という男だ。

町から離れて一人で過ごすことの出来る春から秋は、頼忠が最も気持ちが安らぐ季節である。
清滝は夏でも涼しいし、細く落ちる滝は冷たく痛さが心地よく、夜の体のほてりが癒される。
切れ長の目を伏せ、水で髪が顔にかかるのもそのままに滝の下でじっと立つ。
水は整った顔の輪郭に沿って流れ、そのまま雫になるものまたは長い首を伝わり肩から胸へ流れる。
今日も水飛沫の冷気は夜中に開放された頼忠の欲情を鎮めた。
尻の間に指を差し込み秘部を広げると下腹に力を入れ、まだ残っている院の体液を押し出す。
「うっ。」
生温かいものを腿に感じると、そばから水が流していく。
ため息と共に諦めの笑みを浮かべる頼忠。これを屈辱と思っても、 体を弄られ恍惚に乱れてしまう自分も同罪だ。
何にも無感情に努める頼忠でも体内の秘部を刺激されると押えている感情が一気に吹き出してしまうのだ。
だが本当に夢中で欲情にしがみつくのは一瞬で、常にどこかで冷めている。
肉体は敏感に反応してしまうのに、ことが終わっても心は快楽の疲労を感じない。
されるままに体を預けても、相手は自分の欲望を満たすことに精一杯なのだった。
投げやりな無防備の頼忠に相手は淫乱を見、欲情をかき立てられる。
普段感情に乱れぬ武士頼忠の体を貫く優越感に浸る。この者が自分にされるがままになることは他の男たちへの優越感である。

頼忠は苔の生えた崖の岩に背を当て空ろな目で青葉を通して空を見た。
『何故私なのだろう。 この顔や体は他の者と変わりないではないか。 』
それこそ本人だけが分からないことであった。

頼忠の馬が啼いた。
人の気配がする。うっかり気を許して水を浴びていた。


『あれは頼忠の馬の龍王刀ではないか』と川辺りの山道を馬に乗った一人の武士が気がついた。
『このような所へ来るのは、さては昨夜は院のお呼びがあったということか。』
木々を避けて頼忠の馬のいる方に近寄ると泉に頼忠を見つけた。
木立ちの影と陽を反映した水辺は透明な漆黒と緑色に輝く。
山ノ神が清水で頼忠を清めているような光景が眩しくて立ち止まる。落ちてくる清水の愛撫に目を閉じた頼忠に神気さえ感じる。
神に憑かれた美貌をさらけ出し、濡れた体は水飛沫の虹の中で光る。
いつもは衣で隠れているしなやかさに、さすが院の審美眼を認めざるを得ない。


「清正殿ではありませんか。」
気がついた頼忠に声を掛けられ武士は我に返る。
「あ、い、いや頼忠殿。」
藤原清正は西の武士団の者で、武士の間では優秀な憧れの人物である。幼少をこの高雄の山で鍛えたという話を聞いたことがある。
頼忠より少し背は低いが体格は大きく、精悍な顔に優しさもある。
「このような不躾な様で申し訳ありません。」こんな場所でも堅苦しい頼忠の挨拶だ。
「いや、気にされるな。頼忠殿は非番であろう。私は務めで此処まで来たのだから。」

清正はこの近くの寺で密貿易の疑いがあると通報を受け、朝早々から高雄を知る自分が調査にやって来たと話す。
無論頼忠にはここに居る訳を聞かずに何も知らない振りをした。
それが気配りなのか要らぬ親切なのかあえて詮索せず、黙ったまま頼忠は衣を取りに泉から上がってきた。
清正の前で軽く会釈する頼忠に清正は立ちすみときめいた。
清正の目はその体に吸い寄せられ、思わず視線を下げると濡れた腰布に透けた頼忠のそれが分かる。
衣の方へと歩く後ろ姿は引き締まった尻の山があらわに筋肉がゆがみ、胸の鼓動が高鳴る。
艶かしい男の匂いがツンと鼻をついた。
清正には妻子がいる。しかしそれでもこの男の凶器と言える院をも惑わす色香に欲情するのは男として当たり前だと思う。
普段の鼻持ちならない冷ややかな頼忠に、魔性と言える匂いを漂わせるのがこれなのだ。
それを目の前にして自分の男が見過ごせるものか。
今しかない、この男をわしづかみにして密やかな悦楽を味わうのは。
すでに清正は木立ちのさわめきや鳥の声など聞こえなくなり頼忠の後姿だけしか頭にない。

頼忠

 

頼忠が紫紺の衣を木の枝から取ろうと手を伸ばした瞬間、強く後ろから抱きつかれ足元が崩れた。
思いも寄らない出来事に頼忠は何が起こったのか一瞬戸惑った。
「清正殿!いかがいたした。」
「頼忠、頼む。一度でいい、抱かせてくれ。」
と言うが早いか頼忠の腰布の中へ手を入れ柔らかい果実を弄った。いきなりとは強引だ。
「ああ、これがおまえか。」
「あ・・・んっ!清正・・・殿。」

木に押し付けられ後ろからぐいぐいと股間を絞り上げる手に硬くなったその部分が腰布にくい込み苦しい。
それを察して清正は腰布の脇からそれを取り出すと頼忠を正面に向かせ、手を動かしながら体を舐めるように見る。
腰布から開放されたそれは生き物のように股間から突き上がり、猛りで赤い艶を増すと懇願するように先に蜜が湧く。
頼忠は院の記憶も消えないうちに性欲が股間に集中してしまった。
男との交わりに慣れていない清正でもどうすれば気持ちがいいかは知っている。そこをうまく突いてしごく。
艶やかな茎の蜜を指に絡ませじっと見据える。見慣れたものなのに、それが頼忠のものとなるとこうも有り難く思うのか。
清正はそれを口に含むと、敏感な頼忠を味わう至福に唾液がこぼれた。
頼忠の息は荒く、瞳は快感でじっとり潤む。
声は出さないが、硬い肉体に体中の神経が集まり拒否の出来ない状態まで堕ちた。
「おお、美しい。頼忠、噂以上に美しい。」
「し、知らぬ。そのようなうわ・・・。」
再び手で股間を弄られ、その動きがより強くなり頼忠の限界が近づく。清正の腕の筋肉が頼忠の絶頂を期待して踊る。
「さあ、出せ。我慢できないのだろう?出してもっといい顔を見せてくれ。」
激しく弄られる頼忠はとうとう絶頂の声を上げ震えながら性欲を放出した。
その瞬間を清正はしっかり見届けてから見上げた頼忠の快楽の表情に魂を奪われてしまった。
頼忠は咽の奥から極みの吐息を漏らすと精を出しきった後の痙攣が走る。

妖艶さに清正はもう我慢できず、頼忠の 腰布を一気に剥ぐと頼忠を押し倒し腰を持ち上げ尻の間に舌を入れた。
「あうっ。」頼忠が朦朧とした意識の中で声を上げる。 美貌が羞恥で益々色艶に染まる。
舌は容赦なく蕾を広げ、内側までぬらぬらと這うと次第に開花する菊座。
四つん這いの頼忠は髪を乱し、腰を高く突き出して舌の刺激に応える。
「入れて欲しいのだろう?おまえのここに指が2本入ってしまった。なんと卑猥な男よ。」
滴る汗に顔を歪ませる頼忠だが、せがんでいる体は熱くなり足りないものを欲しがる。
清正は袴を下ろし張り詰めた股間の肉体を頼忠の蕾にあてがい余裕さえ失って一気に押し入れる。
無理やりねじ込む男のものに頼忠は悲鳴を上げるが体の奥へとしっかり咥え込む。
清正は己を小刻みに動かしてはねじり上げさらに奥へと突き刺す。
だんだん中が締まってきたと思うと、目覚めたようにその締め方が激しく強くなってきた。
「た、たまらない。ここは極楽だ。」
頼忠も息が早くなり清正に合わせ腰を前後に動かすと汗が滝のように流れ出す。
清正のものが自分の欲しいと思うところへ届くように、妖獣のしなやかさで腰がうねる。荒い息で肩も大きく揺れる。
「もう、だめだ。これ以上我慢できぬ!」
抜き差しが早くなり、あっという間に清正は果てた。

背中から抱きつく清正が腑抜けになったのが分かると、頼忠は自らの手で股間をこすり始めた。
この者はもう頼忠の精を抜く余裕などない。
「ああ。」自分でこの情事に終止符を打った。

虚しい。
自分を求める男は勝手に美しいと誉めそやし満足していく。 身勝手な男を怨むより、止められない自分が悔しい。
本当に自分に美貌があるならそのようなものは要らない、もっと自分を解ってくれる者が欲しい。
しかしいつものように頼忠はそれを隠し、解ってもらおうなどと相手に押し付けたりもしない。
私の気持ちなどどうでも良いと思えば何も考えないで済む。

突然、人の強い視線を感じ木陰に目をやる。今まで気づかなかった。
『誰か見ていたのか?!』

木立ちの影から背の高いすらりとした男と目が合った。
その男、慌てて隠れる様子もなく逃げる気もない。
髪が長く、大きくはだけた胸から察するにかなりの体格の持ち主だ。一目では細身だが背丈でそう見えるのかもしれない。
習慣から頼忠の瞬時の観察力はかなり高い。

体が軽くなったと思ったら、清正は立ち上がってゆっくりと身づくろいをし始めた。
「すまなかったな頼忠。だがこのように満ち足りたのは初めてだ。また会ってくれぬか。」
うつ伏せのまま顔も上げず、その言葉にいつもの頼忠の声で答える。
「私には約束できないことがあります。隠し通せる自信があればよいのですが、知れた時あなたに大きな迷惑がかかりましょう。」
それとなく院のことを匂わして断った。使いたくない手だが二度と密会をしないですみ、根に持たれることもない。
「そうかも知れぬ。だが・・・。」と言う清正の言葉をさえぎり、
「ご安心ください、今日のことは黙っています。私のことは気になさいますな、くれぐれもお気をつけてお帰りください。」
なんとも冷たい態度に清正は現実に戻った。しかし的確な頼忠の答えに逆らう術もない。
「私があの御方ならおまえを塗籠に閉じ込めておきたい。」
「あなたは”清正殿”でよかった。」
妻子の為にも院を裏切るわけにはいかない。こうして清正は馬に乗り、未練を抱きながら束の間の夢と封じ清滝を後にした。

それより残された頼忠には先ほどの男が気になって身を起こした。
誰であろう。京では見かけぬなりをしているが恐ろしく自信に満ちた顔をしていた。
見回すとそこにはもう誰もいない。
あの目には欲情でなく、うっすら同情の笑みさえ感じられた。
『残念だったね』というような労わるような笑み。
今は青葉がそよそよと揺れているだけだった。ため息一つつくと、「会うことはあるまい。」と再び川の中に入って行った。

「紫紺に桔梗の衣か。何処ぞの武士であろう。」
先ほど情事を見ていた男はつぶやいた。
攻められるままに快感に狂うしなやかで美しい男。迸る精に恍惚とした色香が目に焼きついた。
そして最後まで物足りなさを埋められなかった頼忠に気づいていた。
「京の武士であれだけ美貌の者はいない。いや京どころではないね。 慌てずとも京にいる者ならすぐにでも見つけられるさ。」

「お頭、探しましたぜ。こんな山ん中何をほっつき歩いていたんですかい。」
「心配かけてしまったかな、すまないね。先ほど寺を嗅ぎ回っていた武士を追ってみたのだけど、 何も分かってはいないようだ。」
「そんなことは俺たちがやることです。お頭。」
「君たちを呼ぶ暇がなかったのだよ。その代わり探して欲しい男がいるのだが頼めるかな。」

数人の逞しい男たちと山を下りる『お頭』と呼ばれた男。
このずっと後にこの男と頼忠は奇妙な縁で再び出会うのであった。

 


八葉になる前のお話です。頼忠、ちょっとした問題児です。
”あの事件”がなくても普通の男として扱われていれば心を閉ざすこともなかったでしょう。
少しづつ懺悔をして身が軽くなったら最後は幸せになるように祈ります。
つたないお話しですみません。
LA銀